大人のコミュニケーションが丸い理由

ちょっと前に、大人のコミュニケーションと子どものコミュニケーションの違いについて書いたけれど、ちょっと加えたい気づきが今日あった。

大人はコミュニケーションが「丸い」と私は書いた。

けど、今日久しぶりに大人と話していて思ったのは、学生と話すより社会人と話すときのほうが、色々なコミュニケーション上のルールを意識しなければいけない。

これらを体内化しているからこそコミュニケーションが上手いんだ。

敬語、名刺交換の形式、メールの書き方などは意識されてることが多いと思うけど

普通の会話でも、誰かにいじられたら嫌がるべきだけど嫌がりすぎてはいけない、とか。

グループ内でのキャラ設定に従って発言するとか。

そういう場面別のルールがある。

それらは経験で身についたとも言えるけど、

個々人が各々の経験に基づいて覚えてるというよりは、

中高の部活や、大学のサークルに入ったとき、企業に入社したときなど

ライフステージに合わせて形式的に叩き込まれているのでは。

だから共通のルールとして機能するほど一般的に共有されている。

…そりゃ社会人のコミュニケーションは違うわ。

アメリカでも、中高は日本のような厳しい部活がないからカオス状態だったけど、社会人はやっぱりルールを知ってたなぁと思う。社会人と多く触れ合う学生とかも。

ただ、生活を面白くしてくれたり、無駄を省いて人とのやりとりを効率化にしてくれたりするルールと、つまんない苦痛なルール=伝統との違いは見極めたい。

苦痛で無意味なルールがあったら、そこは私は子ども式コミュニケーション(=自分個人の経験・価値観に基づく)に徹したい。



High Achievers, Overachievers

17 Signs You're An Overachiever 

この記事読んだら、完全に最近の私のことだった。

high achiever = 何かを上手くやりたくてがむしゃらにやる人
overachiever = 失敗や評価を恐れてがむしゃらにやる人

わたし、overachieverですわ。

最近は自意識ばっかり肥大化して
目の前のことにハマれてないなー

中学校や高校時代、
絵描いたり
ブログのデザインいじったり
作詞作曲して初音ミクに歌わせたり
小説読んだり
調べ物したりしてたときって
本当にただただ無心になってやってたな

受験では将来の夢について聞かれたし
「で、結局なにしたいの?」っていうのも、世間に流されない「構え」を作るのに重要な質問である一方、

そればっかり考えちゃっても目の前のことは楽しくなくなっちゃうよな。。

志を高く持つこと以上に
自意識・他人の目というdistractionを減らして減らして。。ちっちゃくすることで
夢中になれるものを見つけた方がいい気がしてきた。。

新しく絵を描き始めるときは
とてもワクワクしてた。
途中のめんどくさい作業も
描くのが苦手な部分を練習するのも
誰にしろとも言われずに無心になってやってた。

なんで絵を描かなくなったかは、覚えてないけど。。

受験期も小論文を書くことにはかなり熱中したし、という受験期後も小論文は書いたりしたし、
対象さえ見つければハマることはできる。


優等生やめないといけないんだろうなー

自意識よ、小さくなれー

仏典でも読んだら煩悩消えるかな



もやもや

忘れたくない言葉たち

 

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しょーもないこと、

よりよい生き方とか、について考えすぎる癖があるので、

普段色んな言葉が頭の中を駆け巡りますが

なかでも、
思い浮かべるだけでエネルギーが腹の底から湧いてくる言葉がいくつかある。

なので、最近のお気に入りをシェアしたいと思います。



"Be the change that you want to see in the world. "

これは以前も聞いたことがあったけれど、
妹のえっちゃんと語り合う中で、最近また出てきた言葉。

妹が、確か、文化論?の授業で聞いたらしい。

この言葉、日本語にうまく訳せない。(日本語力不足かも)

けど、その通りすぎる。実際にそうできてる人がいくらいるだろうか。
私もできてないけど、そうしなければいけないという自分への厳しさは持ち続けたいと思う。




あとは、昨日聞いた言葉で

「知ったしまったからには責任が生じます。

知った上で、知らないフリをして生きることは、許されません。」


ジェンダー論の先生が言っていました。
先生は自分の信念が強くて、一部の生徒には過激と言われている。

けど、なにがすごいかっていうと、社会の流れに反する部分も、行動で全部突き通すところ。
どちらかの性に対して差別的な発言が出たら、相手にごまかされないように徹底的に主張する。
全然、アカデミックな場とかじゃなくて、日常的に。
私は、これは全然「危険」とか「暴力」とかじゃないと思う。
だって、相手だって反論したいならできるから。先生は権力を振りかざしてそういうことを言っているわけじゃないから。「行動」だと思う。

行動が伴うからこそ言葉に説得力と深みがある。

先生のような人が抗鬱剤を飲まないとやってけないっていうのはなんだか分かる気がする。(もちろん私たちは知らない事情とかもあるかもしれないけど。)

けど、ほとんどの人は、自分の知っていることに対してそこまで責任感を負わずに生きてしまう。
あるいは、知ったら責任が生じるから、知らないように、情報を避けてしまう人もいる。
そうやって楽に生きちゃう。生きれちゃう。

けど楽な人生なんて、周りの誰にも影響を与えないと思う。ただ。過ぎていく。
楽、楽しい=面白い だとは私は思わない。


知って、知って、それをしっかり自分のものとしてふまえた行動をしたいな。 

思考1:行動99くらいで

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今日は、以前インターンをしていたASHOKA JAPANの、ユースベンチャラーの報告会に行った。

http://ashoka-japan.org/youth/

用事があってちょっとしかいれなかったけれど、

潜在的アダルトチルドレンに向けた回復ワークショップをやっている友達のプレゼンを聞くことができた。
聞いてて、涙が出た。

私も一時期心のことで色々悩んでいたことがあったけど
心を許した、たった数人にしかそれを打ち明けられなかった。

ネタみたいな感じで言わないで、
真剣にその話をしたら仲の良い人も離れていくんじゃないかと思ってた。

けど、友達は、
「私は自分がアダルトチルドレンだと気付いた」
って、皆の前で言っていた。

止められない勢いで涙出てきた。

なんか、自分の押し込められてた感情がぶわっと開放されたような感じで。

悲しいとか苦しいとか嬉しいとかでもなく、ほんと、
「あぁ。」って、
すーっと何かが抜けていく感じで。

すごく自分事にしてしまったのが恥ずかしかったけど、
でも、友達のことも、心の底から尊敬してしまうなって思った。

しかもそのあと、

「辛いことやネガティブな思い出も言えるのは、すごいことだと思う」
と発言したら、

ASHOKAの代表さんに、

「ネガティブかどうかを決めるのは自分次第。

辛いことがあっても、それにちゃんと向きあえばそれが糧になることだってある。

逃げないで向き合えば、その分人間としての深みが出てくる。」

という言葉を頂いた。

奮い立たされた。そんな気持ち。

考えてみれば「ネガティブで捉えられそうで怖い」と思ってた過去も、
自分の中では決してネガティブな意味だけでは捉えてなかった。

それこそ糧として、私の原動力としてきたと思う。

それを他人にどう思われようと関係ないし、そんな過去のことで離れていく人は
それまでの人なんだろうなと思った。

そしてその延長線で、
私の敵は私しかいないということを感じた。

実際私のそういう部分を見られて、引かれたわけじゃないのに
「嫌われるかもしれない」という他人像を作ってきたのは私だった。

考えすぎずに、ありのままで生きよう、
考えすぎない、行動あるのみ。

もっと、思考:行動の比率を行動の方に傾けていこうと、思いました。

自力で自己肯定感を高める方法

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知り合いの女の子に「自己肯定感」を問題にしている/意識している子が多いなと思う。私も結構気になっている。

 

「自己肯定感」って心理学とかだとよく「自尊感情」とも言われてるけど多分同じ意味で、(自尊感情 とは - コトバンクkotobankによると、「自分には価値があり尊敬されるべき人間だと思える感情」のことだそうです。


そこに書いてある、学習行動・対人関係における自尊感情の高低による違いが面白い。

自尊感情が高い人は困難に出会っても粘り強く努力するが、自尊感情が低い人は諦めやすい。そして、自尊感情が低い人は自分への評価によって相手の善悪を判断し、他人からの評価に振り回されやすいそう。

 

結論:自尊感情が低いと損。

 

私自身けっこう他人の目を気にしたり、自分を褒めるのが苦手だったりして、それで損してる部分も大きいため、自力で自己肯定感を高める方法が見つかりそうになったら全力で試すようにしてる。

結果、この数年間で確実に自己肯定感は向上してきたんじゃないかって思う。最近なんて周りからも自己肯定感高いねって(冗談っぽいけどw)言われるようになった。せっかくなんで、意識的にやってることを書いてみる。

 

尊敬する大人を見つけて、よく観察する。

去年の夏から2つの組織でインターンをしてきて、一番良かったのが、尊敬できる大人の間近にいれたことだと思う。

実績もあって楽しそうに仕事する大人って、すごくキラキラしてる。最初は少し眩しすぎるくらい。「すごい人」だから、特に自尊感情が欠如してる人からすると、「自分に比べてなんでも持ってる、完璧、理想的」に見えちゃったりもする。

けど、目が慣れてくると、色々と見えてくる。その人の苦労とか、失敗とか、今も努力して直そうとしてる悪い癖とか。スタート地点はおんなじで、最初はそんなにかっこよくなかったってこととか。

そうすると、視野が相対化されて、自分もかっこよくなるポテンシャルを持ってるんじゃないかって思えてくる。どんなにかっこいい人間でも完璧じゃなくて、自分みたいにダメなところも持ってるって分かってくる。

最終的に、自分のダメなところもかなり許せるようになる気がする。

 

低すぎず高すぎない目標を設定して、ちょっと頑張って達成してみる。

当たり前かもだけど、目標をクリアできると誰でも嬉しい。

けど特に自尊感情が低い人にとっては大事。そういう人には「許す理由がないと自分の存在を許せない」ときがあるからだ。

そんなとき、低すぎず高すぎない目標を設定して達成することで、自分を許して、褒めてあげればいい。

低すぎる目標(私だったら授業に最低週に1回出るとか)は、自分でも低いって分かってるからあんまり自分を褒めるきっかけにはならない。逆に、高すぎると達成できないから意味がない。

頑張れば「多分」できるかも、くらいの目標に向けて短期間でがんばってみると、ものすごくスカッとして、自分を許すのが簡単になる。

一時的なものに思えるけど、それを習慣化すれば長期的な向上につながる気がする。

 

間違ってても良いから、「自分で判断すること」を大切にする。

間違ってても良いって、なかなか思えない。

だって、間違ってたら損するし間違ってるかもって思ったら怖いし本当にやばい間違いだったら最悪な思いをして色々積み上げてきたものがパーになるかもしれないじゃん!

けど、以前どこかで読んだ覚えがあるんだけど、人間ってすごい苦境を経験したほど「その苦境があって良かった」「苦しみがあったから今の幸せがある」って後で思うらしい。つまり、どう転んでも、最終的には幸せだって思い込む力が人間にはあるってこと。

それを信じて、どんな判断も自分さえ幸せであれば「間違い」ではないと思って踏み出して見るべき。

 

で、なんで「自分で判断すること」が大切かっていうと。

私が勝手に昔から思ってることだけど、他人に決められたことに従うと、それは時折ほんとうの「間違い」になっちゃうと思うんだよね。

他人に決められた環境に置かれたとして、その環境が嫌いになったとき湧いてくる気持ちの大部分は「その他人への憎しみ」「他人への不信感」だけど、

自分で決めた環境だった場合、その感情は「後悔」「反省」「次の判断を下すときの基準」になると思う。

自分の失敗は、学び、成長につながる。 

だから、最終的には「間違ってるし後悔するかも、けど自分で決めた時点でムダにはならないから結果オーライ◎」と思って自分を応援してあげるといいと思う。
その応援する姿勢自体が、自己肯定。

 

肯定感って多分大事

どうでしたでしょうか。誰のためにもならなかったかもだけど、一応自分のためにも書いてみました。

なんで自己肯定感を問題にしているのが女の子ばっかりなのかっていうのはまた別の問題で、いつか語るかもしれないし語らないかもしれないけど。

とりあえず、強く生きるために意識的に自尊感情を育てるっていうのは大事な気がしてます。

 

以上、去年の冬めちゃくちゃ学生相談室を活用してた、自尊感情グラグラ系女子による考察でした。

大人か子どもかは、コミュニケーションの質で分かる。

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私くらいの歳(20代前半)だと、
いまいち人付き合いが「上手く」ない人ばっかりです。
 
私もそう。
 
目的にあったコミュニケーションじゃなくて、自己中心的で自分の心地良さを優先するコミュニケーションばっかりになりがち。
 
ある人は私みたいに真剣な話や真っ正面からの指摘、衝突を回避する。
ある人はドのつくぐらい真っ正面から、相手を萎縮させるような圧力を持って話す。
 
私たち子どもは、
自分が大事。自分を優先してしまう。
 

子どもなら、せめて真っ直ぐでいたい

子どもは子どもでも、
私が好きなコミュニケーションの仕方をする人がいて、それは
「○○してりゃいい」っていう規則的なコミュニケーションじゃなくて
真っ直ぐなコミュニケーション。
面白いと思うことに笑って、喜びたいときに喜ぶような。
 
世の中にはヘラヘラ「してればいい」可愛く「してればいい」っていうコミュニケーションをする人がいる。決まったルールに則ったコミュニケーション。
 
それがなんとなく上手く形になってしまってる(ような気がするけど私に見破られるくらいだからほんとは下手くそな)人が私は怖い。なんとなく信用ならない気がする。
 
自分ルールで乗り切った気になって、その鈍感さによって自分の成長を妨げてると思う。
 
真っ直ぐなコミュニケーションをする人は、
自分中心だけど素直なんじゃないかな。
分かりやすくて接しやすい。
 

その人の話し方や内容で分かる、「大人」

で、大人はどうかって言うと。
 
大人にとっての自然で真っ直ぐなコミュニケーションそのものが、相手への思いやりや場面への気配りを含んでる。
色んな経験をして色んな人に会って色んなプレッシャーに耐えて、必要なときはある程度自分を犠牲にする、そういう風にバランスを取りながら生きていくと真ん丸くなる。
 
例えば、
初めて会う相手には朗らかに。
ミーティングで何か説明するとき、意見を言うときはシンプルに分かりやすく、はっきりと。
そういう柔軟で適切な対応って、社会人にとっては当たり前でも、学生とかはほとんどできないと思う。
 

丸いコミュニケーションのできる大人になりたい

「大人」という言葉はときとしてネガティブな意味を含む。
けど私の思う、ホントの大人は、素敵だ。
 
どうやったらそういう大人になれるかっていうと、「貪欲な向上心を持って色々なことにチャレンジすること」だと思う。
 
そういう人は何かを達成するために様々な場面や人に出くわし、苦労・ストレスに耐える術を覚えるから。
何かをやり遂げるためには絶対他人との協力が必要だから。
 
コミュニケーションに含まれる視点が、自然と自分だけじゃなくなってるんだろうな…
 
そういう良い大人に、なろ。
自分の信念は尖ってても、コミュニケーションは真ん丸な大人。